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桃 (松型駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
桃 (松型駆逐艦)[もも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もも]
 【名詞】 1. peach 2. prunus persica (tree)
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [かた]
 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

桃 (松型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
桃 (松型駆逐艦)[もも]


(もも)は、大日本帝国海軍駆逐艦松型(丁型)の4番艦である。日本海軍の艦名としては2代目。
==艦歴==
1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等)駆逐艦第5484号艦として舞鶴海軍工廠で建造。1943年(昭和18年)11月5日に起工され、1944年(昭和19年)に6月10日竣工する。
竣工後、「桃」は訓練部隊の第十一水雷戦隊高間完少将海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海で訓練の後、7月15日、「」「」および「」とともに第四十三駆逐隊(菅間良吉中佐)が編成される。8月20日、第四十三駆逐隊は新編された第三十一戦隊江戸兵太郎少将・海兵40期)に編入。編入後も瀬戸内海で訓練を続行する。10月25日には「梅」「」「」とともに、台湾への輸送作戦を行う空母龍鳳」、「海鷹」を護衛して佐世保を出撃し、10月27日に基隆に到着〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.5,31,41〕。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日にに帰投した〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.33,42,51,52〕。
第三十一戦隊は旗艦軽巡洋艦五十鈴」と駆逐艦6隻を以って、南方に進出する戦艦伊勢」、「日向」を護衛することとなった〔『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53〕。11月9日に五島列島有川湾を出撃し、馬公経由で南沙諸島長島に到着〔野村, pp.9〕。その後、「五十鈴」などとともにマニラに進出〔野村, pp.10〕。しかし、「五十鈴」は11月19日にアメリカの潜水艦ヘイク (''USS Hake, SS-256'') の雷撃で損傷し、昭南、次いでスラバヤに下がって修理が行われる事となり、「五十鈴」を護衛して昭南に向かった〔木俣『日本水雷戦史』586ページ〕。第三十一戦隊旗艦は五十鈴から駆逐艦「霜月」に変更され、に向かうこととなったため、「霜月」を護衛して昭南を出撃した。しかし11月25日未明にアメリカの潜水艦カヴァラ (''USS Cavalla, SS-244'') の雷撃で「霜月」が轟沈し、江戸少将以下第三十一戦隊司令部全員と乗員の大半が戦死した。ソナーと聴音機で捜索するも、カヴァラは浮上してレーダーを使用して雷撃していたため探知できなかった〔「SS-244, USS CAVALLA」p.173〕。「桃」は46名の生存者〔木俣『日本水雷戦史』587ページ〕を救助の後マニラに再進出し、レイテ島行きの多号作戦に参加する事となる。
12月5日10時半〔木俣『日本水雷戦史』569ページ〕、第八次多号作戦輸送部隊はマニラを出撃。しかし、12月7日にアメリカ軍第77師団がオルモック南方に上陸したため、オルモックへの接近を断念して揚陸地をサン・イシドロに変更。兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来ず、タクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、輸送船は沈没したり海岸に擱座して壊滅した。帰途にはマスバテ島の暗礁に触れたものの〔雨倉, 99ページ〕、12月9日にマニラに帰投。12月14日、マニラで第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機の空襲を受ける。4度の攻撃を受けて5機を撃墜したと判断されたが、「桃」は2発の直撃弾と多数の至近弾により、第二缶室と前部機械室、通信装置、水測兵器が使用不能となって最大速力は14ノットに落ちた〔『第五艦隊戦時日誌』pp.35〕。一時は火災が発生して誘爆を防ぐため魚雷は投棄され、戦死者30名と負傷者102名を出した。蒸化器も破損して真水にも事欠く有様となった〔『第五艦隊戦時日誌』pp.35,36〕。これにより、空襲から避退して修理を受けるため馬公に向けて脱出することとなった〔『第五艦隊戦時日誌』pp.33〕。僚艦の「」は香港へ、「」と「榧」はカムラン湾に向かう〔木俣『日本水雷戦史』571ページ〕。
12月15日、「桃」はスービック湾内で第38任務部隊艦載機の空襲で沈没した輸送船「鴨緑丸」(大阪商船、7,362トン)〔所謂ヘルシップ(地獄船)の一隻〕の処理を済ませた後、第60号駆潜艇を伴ってマニラを出港する。しかし、夜に入りマニラの北西210海里の地点でアメリカの潜水艦ホークビル (''USS Hawkbill, SS-366'') に発見される。ホークビルはレーダーで2つの目標を探知し、19時27分に2つの目標に対して魚雷を3本ずつ発射〔「SS-366, USS HAWKBILL」p.66〕、うち4つの命中音が聞こえた。ホークビルの発射した魚雷は第二缶室に命中し、機械室が使用不能となって「桃」は沈没していった〔木俣『日本水雷戦史』589ページ〕。「桃」の艦長皆川芳雄少佐〔雨倉, 95ページ〕以下30名が戦死した。「桃」は翌年2月10日に除籍された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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